
筆者は、皇位継承をめぐる議論になるたび、ある種の既視感を覚える。竹田恒泰氏とその支持者の多くは、議論が始まると即座に「男系か、女系か」という二択のフレームに持ち込みたがるからだ。
しかし、皇室史研究者の森暢平氏が突いた核心はそこではない。発火点となった私(上杉隆)のX(旧ツイッター)投稿を受ける形で、森氏は次のように指摘した。 「竹田系統は『女系』であることより、『庶系』であることが問題なのだ」
この整理は極めて重要だ。初代竹田宮恒久王が長男でありながら、北白川家を継承せず、新たに竹田宮を立てた歴史がその問題点を端的に示している。 要するに、竹田氏をはじめとする「旧皇族」の方々が問われているのは、単なる「血のつながり」ではない。どの系統で、どの資格で、どのような制度のもとに宮家が位置づけられてきたかという「履歴」である。竹田氏が皇統論を叫ぶなら、まずこの史実から逃げてはならない。
史実を確認しよう。公開資料によれば、竹田宮恒久王は北白川宮能久親王の「第1王子(庶長子)」とされている。三康文化研究所の竹田宮文庫の記録でも、同家は能久親王の庶長子である恒久王が1906年に創設した宮家と説明されている。 この一点を見ても、竹田氏周辺が好む「われわれこそ純然たる伝統の体現者だ」という物言いは破綻している。竹田家の出発点そのものが、単純な“本流の一直線”ではなく、当時の政治判断と制度設計によって作られた「分岐」だからだ。
本来、宮家を継ぐ嫡子以外の男子は臣籍降下するのが通例だった。しかし当時は明治天皇の直系男子が少なく、伏見宮系との血縁を緊密にする意図から、明治天皇の第六皇女・昌子内親王を王妃に迎え、特例的に新宮家が立てられた。これが歴史の現実である。 「伝統」は、竹田氏が言うほど単純ではない。歴史の現場では常に緻密な制度設計があり、政治判断が下され、特例と調整を重ねることで皇室は維持されてきた。にもかかわらず、現代の都合の良い部分だけを切り取り、「男系」という一語ですべてが決着するかのように語るのは、史実の省略であり、歴史の改ざんと言っても過言ではない。
竹田氏とその支持者の方々にも分かりやすく組織に例えて説明しよう。あなた方の主張は、会社でいえば「同じ創業家の血筋です」と言っているに過ぎない。その人物が本社の正統な後継者なのか、分家なのか、あるいは特別な人事で新会社を任された側なのかという「格式や経緯」を完全に無視している。そんな大雑把な説明で、組織の正統な継承論が語れるはずもない。皇室の議論を「男系」というラベルだけで片付けるのは、あまりに雑である。
筆者はここで竹田家を貶めたいのではない。特定の人物を神棚に上げ、歴史の複雑さを消し去った上で「異論はすべて不敬だ」「女系を言う者は無知だ」と威圧する、その「知的怠慢」を批判しているのだ。
【竹田氏側の想定される反論への再反論】
こうした指摘に対し、竹田氏側から予想される3つの反論にあらかじめ答えておきたい。
反論1:「竹田家を“女系”扱いするのは誤りだ。父系をたどれば男系男子であり、議論の余地はない」 これは竹田氏がもっとも強く主張する点であり、同氏の番組やXでも「明治天皇の娘を通じて血縁が近いのであって、血統は男系男子だ」と反論されている。しかし、これは論点のすり替えだ。 森氏の指摘の本質は「男系か女系か」ではなく、「庶系」という制度的位置づけにある。男系という事実を確認することと、そこから「だからすべての議論は終了だ」と飛躍することはまったく別問題だ。筆者の疑問は、男系そのものの否定ではなく、その一語で制度史の複雑さを省略しようとする態度に向けられている。
反論2:「庶長子であっても男系である以上、皇統の連続性と矛盾しない。庶系を持ち出すのは論点ずらしだ」 一見もっともらしく聞こえるが、この反論こそ自己矛盾を孕んでいる。もし本当に「父系でつながっていれば、それだけで十分」なのであれば、なぜ当時、北白川家とは別に「竹田宮」という新宮家を創設するという、煩雑な制度上の整理が必要だったのか。 皇室の歴史において重要なのは、血筋の有無だけではなく、その血筋が「制度の中でどう位置づけられてきたか」である。竹田氏が「男系」という一語で制度の履歴を飛び越えることこそが、真の論点ずらしである。
反論3:「女性天皇に進むより、旧宮家の男系男子を活用する案のほうが伝統を守れて安全だ」 竹田氏は、女性天皇容認や女性宮家創設は女系天皇への入り口になり得ると懸念し、旧皇族の復帰や養子縁組を長期的かつ安全な選択肢として主張する。 ここで筆者の立場を改めて明確にしておきたい。私のスタンスは当初から一貫している。女性天皇案であれ、旧宮家養子案であれ、いずれの選択肢でも構わない。問うているのはただ一つ、「皇統断絶の可能性を1%でも下げて、日本の皇室制度を守り続けること」、これに尽きる。
旧宮家養子案には、対象者の選定、皇室の政治的中立性、国民の理解など、クリアすべき現実的な課題が山積している。特定案を「魔法の杖」のように神聖視するのは不誠実だ。 真の「保守」を名乗るのであれば、特定案への信仰に走るのではなく、複数の選択肢を同じ物差しで冷静に比較検証し、どれが最も継承の確率を高めるかを吟味すべきだ。なんなれば、すべての選択肢をテーブルに残してでも皇統を守ることこそが、文字通りの保守ではないか。
本質的な議論を避けて、ただ「男系だから終わり」「旧宮家だから正統」と繰り返すなら、それは伝統の擁護ではない。伝統という言葉に身を隠した、皇室への裏切り行為にほかならない。
筆者は皇室への崇敬の念を一瞬たりとも手放したことはない。だからこそ、皇位継承という国家の根幹を、軽薄な標語の応酬で済ませてはならないと考える。国会での論争が本格化している今、丁寧に皇統を語るなら、系図を一行読むだけでは足りない。その系図が「いつ、なぜ、どの制度のもとで、どう編まれてきたのか」まで見極める眼力が必要だ。
竹田氏とその周辺(麻生太郎氏にも言える)に必要なのは、拍手でも憤激でもない。まずは史料を精読することだ。そして、森暢平氏のこの鋭い一撃から逃げずに、正面から論理的に答えることである。
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