
9月13日配信の第12回「NoBorder」は、溝口勇児氏のMCのもと、現代日本において最もセンシティブなテーマの一つである「ディープステート」を正面から取り扱った。約49分間にわたり、筆者(上杉隆)、石田和靖、内藤陽介、フィフィ、奥野卓志各氏に加え、元内閣総理大臣鳩山由紀夫氏をゲストに迎えた本格的な議論が展開された。長年政界とメディア界の両方を取材してきた立場から、今回の番組で行われた議論の核心と意義について分析したい。
溝口勇児の挑戦とその意義
繰り返しになるが、特筆すべきはMC溝口勇児氏の番組運営における飽くなき挑戦の精神である。番組冒頭で「この世の中は政財界、国家、宗教、力を持つ外国、様々な権力の内幕を報じることはタブーとされています」と明確に問題提起し、「もし今、日本国民が知らないうちに権力の支配下に置かれ、そして不幸になっているとするならば命をかけてでも立ち上がるべきではないか」という強烈なメッセージを発信した。
この姿勢は、既存メディアが記者クラブ制度に安住し、権力との馴れ合い構造の中で真の報道機関の役割を果たしていないという長年の不作為への明確な挑戦状である。「見て見ぬふりは終わりだ」という締めの言葉は、私たちジャーナリスト全体への応援であり、警鐘として受け止めるべきだろう。
ここ最近、溝口氏とやりとりを重ねている筆者はひとつの確信を得ている。この若き日本の社会改革者の挑戦は、決して単なる話題作りではなく、これまで日本のエリート層があえて、または無自覚に直視してこなかった数々の「タブー」に正面から切り込んでいるということだ。
多様な視点を持つ論客が自由に議論できる場を提供するというのは、日本のメディア環境における数少ない試みである。具体的に言えば『朝まで生テレビ』(田原総一朗)、『ニューズオプエド』(上杉隆)以来の3例目としてカウントされるのみだ。情報の多様性と民主主義の基盤である「知る権利」の実現に向けた重要な一歩を、ジャーナリストでもない溝口勇児という改革者が直感的に踏み込んでいるという理解はあながち間違えではないだろう。
「官報複合体」-日本におけるディープステートの中核構造
今回の番組で最も重要な概念提示のひとつは「官報複合体」であることに異論はないだろう。この概念は筆者が2000年に造語し、2005年に公表した利権構造として既に各種辞典にも定義されている。官僚の「官」と報道の「報」が結びついた複合体として、これこそが日本におけるディープステートの中核をなしている。
文字通り、アメリカの「軍産複合体」が軍部と産業界の癒着構造を指すのに対し、日本の「官報複合体」は官僚システムと報道機関の癒着構造を意味する。記者クラブ制度を通じて、官僚が情報を統制し、メディアがそれに従属する構造が確立されて久しい。このカルテル構造により、真の権力監視機能は失われ、国民への情報提供は歪められてきたのだ。
番組中に鳩山元首相が証言した記者クラブ開放時の朝日新聞記者による「誰がこの記者会見を主催してるか。私たちが主催してるんですよ」という傲慢な発言は、まさに「官報複合体」の象徴的事例である。国民の税金で運営される公的施設を無料で使いながら、情報の独占を当然視する特権意識こそが、日本のメディアの最大の病理なのだ。
現場主義ジャーナリズムへの敬意と文化の変質
番組中の奥野氏と筆者の論争について自省を込めて述べたい。確かに筆者も感情的になった部分はあるが、その背景には戦地や当事者に直接当たる厳しい取材現場で、不断に情報を収集し続けているジャーナリスト仲間への深い敬意があったからに他ならない。
かつての日本では、現場で足を使って取材するジャーナリストや記者に対して、編集者やアナリスト、学者たちや有識者たちが敬意を示す文化が存在したものだった。中東のイラク、レバノン、シリア、独裁の始まった直後のロシアや中国、あるいは入国すら厳しい北朝鮮やキューバなど、筆者自身も拘束されたり、重傷を負ったりしながら、数々の現場を踏んだものだった。それは「ニューヨークタイムズ」東京支局での取材記者時代に世界各地の現場を取材した経験から、誰かがやらなくてはならない現場取材の重要性を痛感していたからに他ならない。
筆者がテレビやラジオに出演している頃は、そうした一次情報を収集するジャーナリストの労苦を理解し、その価値を認める風土が確かにあった。スタジオスタッフはもちろんのこと、宮崎哲弥さんや大宅映子さんなどの評論家、あるいは氏家斉一郎さん(日本テレビ議長)や渡邊恒雄さん(読売新聞主筆)などのメディアのトップらも「それで実際の現地はどうなんだ?」「国会の様子はどうですか?」「帰国したら聞かせてくれ」と頻繁に連絡をくれたものだった。
しかし、現在の日本では、現場も現地も取材の事情も知らないタレントや素人コメンテーターが跋扈し、そうした文化が完全に失われてしまった。番組の中で石田氏が「ウクライナもロシアも取材している」と述べたにもかかわらず、現地に足を運び、当事者に直接話を聞いて得たその種の情報の価値は軽視され、奥野氏のようにネットで収集した二次情報に依存する「分析」が幅を利かせているのは嘆かわしい限りだ。
奥野氏への「ちゃんと取材した方がいいかもしれないね」という筆者の発言は、こうした現場での一次情報収集の価値を軽視する風潮への苛立ちが背景にあったことを理解いただきたい。ジャーナリズムの基本は「現場に行く」ことであり、常に生命の危険を伴うが、その基本が忘れられつつある現状に危機感を抱いているのである。
ディープステート論議の分析
番組テーマとなったディープステート論議では、出演者それぞれが異なる視点を提供し、興味深い論点整理が行われた。
石田和靖氏の分析は具体的で説得力があった。「人を殺してでもお金稼ぎを追求するグローバル企業」という定義から始まり、ブラックロック、バンガード、ステートストリート、JPモルガンといった具体的な投資機関を挙げ、これらが日本の経団連所属企業の株主となることで、テレビCM等を通じて間接的にメディアに影響力を行使している構造を明確に示した。
とくに「テレビ局の売上はテレビCMで、そのスポンサーが米国の機関投資家が株主の企業」という指摘は、日本メディアの構造的問題の一部核心を突いている。この分析により、なぜ日本のメディアが特定の方向性を持った報道を行ってしまうのかが明確になっただろう。
内藤陽介氏は学術的アプローチを取り、1953年のアイゼンハワー政権時代の「軍産複合体」概念から説き起こした。「正規の手続きでコントロールできない役人だとか既得権益が非常に力を持っている」という定義は建設的であった。その文脈で日本を例にした、財務省の「税収弾性値」問題を具体例として挙げ、日本における官僚制の問題まで浮き彫りにした。
ただし、内藤氏が「陰謀系」という表現で陰謀論者を断罪した姿勢には若干の疑問が残る。確かに根拠のない陰謀論は危険だが、そうした陰謀の中にもときに真実がある。権力の不透明な動きを検証することもジャーナリズムの重要な機能であることを考えれば、一方的に議論を妨げるその論法は、逆の意味でまた奥野氏と同じことをしていると言えなくもないのだ。
フィフィの「大元は同じかもしれないけれど、それぞれが競合している」という指摘は重要だった。単純な陰謀論に陥ることなく、「金儲けしたがる人たちが寄ってくる収斂先」としてのディープステイトという存在ならば認められるという現実的な分析を提供した。これは筆者の感覚とも大まかな点で合致する。
鳩山由紀夫元首相の証言の価値
今回の番組で最も価値ある情報は、鳩山由紀夫元首相による政権時代の具体的な証言だった。これまで日本のメディアは鳩山政権を「理想ばかりで実現力に乏しい」「わずか8か月で終わったバカ総理」として一方的に描いてきたが、番組では全く異なる実像が浮かび上がった。
記者クラブ開放の成果について、鳩山元首相は、自身の就任によってそれまで50位以下だった日本の報道の自由度ランキングがいきなり世界11位に上がったにも関わらず、マスコミが一切報じなかったという筆者のコメントに触れ、「恐ろしかった」と語った。この感想がすべてを現わしているだろう。日本のメディアが自らの既得権益に抵触する変化については、報道しないというアンフェアな現実を如実に表している。
朝日新聞記者による「誰がこの記者会見を主催してるのか。私たちが主催してるんですよ」という時の首相に対する発言は、「官報複合体」における報道機関の特権意識の象徴的事例として記録されるべきだろう。国民の税金で運営される公的な施設を使いながら、公平なアクセス権に反対する姿勢は明らかに公共性に反している。メディアの奢りに他ならない。
事務次官会議廃止について、鳩山氏は「選挙で信託を受けているのは国会議員であって官僚ではない」という民主主義の当然の原理原則を明確に述べたにすぎない。429兆円という特別会計の存在と、その使途が各省役人の恣意的な判断に拠るという当時の状況は、確かに民主的統制の観点から問題であった。
鳩山氏が「DSにやられたと言った覚えは一度もない。ただみんなを敵に回しすぎた」と謙虚に反省し、「全くスキャンダルがなかったといえば嘘で、母親からの子供手当てという批判を受けた」と率直に説明したことは、政治家としての誠実さを示すものだった。実弟邦夫の元秘書の筆者から見ても、鳩山さんは昔から一貫して変わらないだが、同じく一貫して変わらないメディアの悪意によって、実際とは懸け離れた低評価を受け続けている。
メディア分析の核心
筆者のウクライナ報道に対する分析は、日本メディアの構造的な問題に起因する。「日本は基本的にニューヨークタイムズなどアメリカ東海岸のエスタブリッシュメント・メディアの報道をそのまま翻訳している」「世界のメディアはG7広島サミットでAI問題を議論していたのに、日本だけがゼレンスキー到着ばかり報じていた」という現地取材から導かれた筆者独自の報告は、日本のメディアの取材能力の欠如と思考停止状態をはっきりと表しているだろう。
また、ゼレンスキー政権発足時のスピン映像について、「彼の側近には1人も政治側の人間がいなかった。芸能プロダクションの社長とディレクター、プロデューサー、ジャーナリスト」という事実や「テレビ局でどうやってバズったらいいかという上手い人たちのチームが政権を取るようになった」という指摘は、現代政治におけるメディア戦略の重要性を示していると自負もしている。
出演者間の議論の評価
奥野卓志氏が一貫してディープステート存在論の立場を採っていることはとくに問題ではない。むしろ番組には必要な役割だと感じる。ただし、DSとQアノンの区別すらできない人物が、嬉々としてDSを語るというのは滑稽でしかない。筆者の「トランプが言っているのはQアノンとは違う」という指摘も理解できていないようだったが、その点が心配である。
一方、奥野氏の唱えるAI活用による情報収集は一向に構わない。むしろ2014年のAIメディア®構想発表時から、筆者はジャーナリズムにおけるAI活用について世界的にも積極的なひとりと評されてきており(アルジャジーラ等)、歓迎している。https://aiconference.aljazeera.net/speakers/しかし、どうせAIを活用するならば、より綿密なプロンプトによってサイバー調査を重ね、番組での議論に耐えうるくらいまで学び、きちんと使ってほしいものだ。
フィフィ氏の日本経済についての分析「外から見ると日本の経済はめちゃくちゃいい」「経済成長率で比較するのは何センス」という指摘は、内向きになりがちな経済論議に外部視点を提供した。また、「失われた30年と毎回言われていたら財布の紐も硬くなる」というメディアの責任を指摘した点も理解できないこともない。
番組の意義と今後への期待
この番組が日本のメディア界に与える示唆は極めて大きい。既存メディアが扱えないテーマについて、元内閣総理大臣を含む多様な論客が自由に議論する場を提供したことは、言論の自由と報道の多様性という観点から高く評価されるべきだろう。
とくに「官報複合体」という概念が再び注目されたことは重要である。この構造こそが日本における真のディープステートであり、民主主義の根幹を脅かす存在なのだ。記者クラブ制度の廃止、メディアカルテルと官僚機構による情報独占の打破、クロスオーナーシップの制限によるメディアの独立性確保は、日本の民主主義にとって喫緊の課題である。
溝口氏の「見て見ぬふりは終わりだ」という言葉は、既存メディアに安住するすべてのジャーナリストへの警鐘として受け止めるべきだろう。溝口氏の挑戦は、真実を追求し、権力を監視するというジャーナリズム本来の使命を思い起こさせ、現場主義に基づいた報道を再確立することがなによりの急務だということを思い出させる。
その溝口が先週から立ち上げた新メディア「NoBorder News」は、NoBorder本編を補完しつつ、ジャーナリズム本来の理想を追求するものになっている。アンカーには筆者上杉が指名された。極めて光栄なことであり、筆者の四半世紀超に及ぶジャーナリスト人生すべてを注ぎ込んでも決して後悔しないほどの環境を整えてくれた。
私たちジャーナリストは不断に権力との距離を検証し、誰のための報道かと問い続ける責務を負っている。そうした意味で「官報複合体」の呪縛から解放され、真に独立したジャーナリズムの復活のチャンスを与えてくれた溝口勇児という人物には心からの敬意と感謝を送りたい。ジャーナリスト 上杉隆
【おしらせ】『NoBorder News』は毎週月曜日19時からライブ配信でお届けしている。本編『NoBorder』に負けない質の高い報道番組を目指している。
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