
ジャーナリスト・上杉隆
私が北朝鮮問題に初めて本格的に取り組んだのは、今から四半世紀以上も前のことだ。ニューヨークタイムズで働いていた頃、日本のメディアが取り上げない奇妙な事件や事象が海外特派員の間でも話題になっていた。
ヤクザ、麻薬、ジャニーズ、記者クラブ、部落解放同盟、パチンコ、核施設事故……。中でもトップクラスのタブーが北朝鮮のそれだった。
「朝鮮民主主義人民共和国」と呼ばれていた北朝鮮は、日本の隣国であるにもかかわらず、その実態はベールに包まれていた。ジャーナリストの性分なのだろう、私はそうしたタブー視されている事象ほど、取材対象として惹かれてしまう。
当時のニューヨークタイムズ東京支局長のハワード・フレンチ氏が、日本人拉致事件を取材すると決めた1999年、川崎に住む横田夫妻とともに新潟の「めぐみさんの拉致現場」への現地取材から、私の長きにわたる北朝鮮取材は始まった。
それ以来、密輸、特定失踪者、パチンコ業界、麻薬取引、朝鮮総連、北朝鮮潜入取材、拉致被害者家族への密着、日朝交渉、米朝首脳会談の現場取材と約25年間、私は北朝鮮問題の最前線取材に立ち続けてきた。
そして今回、NoBorderという新たなメディアの場で、拉致被害者家族の代表の横田拓也さんと共に、この国家犯罪の本質に迫る機会を得た。
溝口勇児さんの主宰するNoBorderは、タブーに切り込む姿勢を掲げる新しいメディアだ。別番組として、私が編集主幹を務めるNoBorder Newsも存在するが、今回の第22回放送では「北朝鮮にビビるヘタレ国家日本―12人の拉致被害者をなぜ取り戻せないのか」という激しいテーマで、拉致事件の核心について関係ゲストを招いてNoBorder本編で討論することになった。久しくオールドメディアが取り上げないためか、北朝鮮問題は風化しつつあるテーマのひとつになっている。
報道が沈黙した時代
番組の中で、私が最も強調したかったのは、2002年9月17日という「分水嶺」の存在である。
この日、小泉純一郎首相の電撃訪朝により、北朝鮮の金正日総書記(故人・ジョンウン父)が初めて拉致を公式に認めた。それ以前の日本では、拉致問題を語ること自体がタブーだった。とくにメディアではその傾向が強く、週刊誌ですらタブー感が残っていた。
「北朝鮮」という呼称すら使えなかった時代である。テレビも新聞も「朝鮮民主主義人民共和国」と正式国名で呼ばなければならず、「拉致事件」ではなく、「特定失踪者」あるいは単に「疑惑」「行方不明者」の問題としか報じられなかった。
1988年に梶山静六国家公安委員長が拉致の疑いを指摘する前後では、新潟日報、ABC(大阪朝日放送)、産経新聞、日経新聞、AERA(朝日新聞)、私が所属していたニューヨークタイムズ以外で、拉致事件を真正面から扱ったメディアはなかった。この報道の沈黙こそが、問題解決を遅らせた最大の要因だったと、今も確信している。
横田拓也さんも番組で「報道が沈黙したことが大きな原因」と明言された。横田めぐみさんが拉致されたのは48年前。国会で取り上げられたのが1997年。そして国民が本当に拉致があったと知ったのが2002年。この時間的ギャップの背景には、拉致問題はひとり北朝鮮の問題ではなく、なかんずく日本におけるマスメディアと社会の構造的問題が横たわっていたと断言できよう。
若き担当者へのレクイエム~利権と忖度の構造
番組では、なぜメディアが北朝鮮に配慮したのか、その理由も明らかになった。私自身の取材経験から言えば、その最大の理由として「3つのキーワード」――警察、パチンコ、万景峰号――が北朝鮮利権の核心だったということが断言できる。警察庁OB(全日遊連)を中心としたパチンコ産業への天下りの他に、三点方式の換金システムに目を瞑り、事実上の脱税を許し、その裏金を朝鮮系金融機関あるいは万景峰号などによって送金する。日本のトライアングルが北朝鮮の正体を隠してきたのだ。その恩恵をもっとも受けたのがマスコミであり、もはや共感関係にあったといっても過言ではない。
パチンコ産業で得られた資金が万景峰号を通じて北朝鮮に流れ、その広告費がテレビ局やラジオ局の重要な収入源となり、警察の天下り先としてパチンコ関連企業が機能していた。このとトライアングル構造がメディアと警察のみならず日本の政財界をも縛っていたのだ。一方で、番組で高英起氏が指摘したように、マスメディアは北朝鮮に取材に行きたいがために批判を控える空気も確実にあったものだった。少しでも「共和国」の批判をすれば二度と入国できない。TBSと共同通信が支局を設置したり(しようとしたり)、特別な入国パスを持っていたのは単なる偶然ではなかったのだ。
私自身、2003年に北朝鮮に潜入取材を試みた際、4日目の早朝5時に見つかり事実上の「国外退去処分」となった。モランボン幼稚園での映像、ケチョンで貧困饑餓の映像、のちに元工作員の安民進氏に確認してもらった日本人拉致家族の平壌隔離エリアの映像などを密かに撮影し、極秘に持ち出した帰国後、日本のテレビで放送してもらったり、政府に提供をしたりした。
22年目の告白
朝鮮総連から呼び出しを受けたのはその直後のことだった。協力してくれた対外文化連絡協会(対文協)の担当者2名が処刑されたという情報を伝えられた。私自身、歳も若かったということもあったのだろう、手柄を焦ったかと言えば否定できない。私の監視に付いた男女ふたりの対文協職員(スパイ)は美男美女で、その自然な笑顔を思い出すといまだに強烈な自責の念に駆られる。
彼らは間違いなく私のせいで殺されたのだ。実は、この件を明かすのは今回の番組が初めてだった。『月刊現代』のリポートやその後に出演したテレビ番組でも「二人の死」だけは話すことができなかった。
どうにもならない悔恨は私の中で永久に消化されることはないだろう。こうした恐怖は世界中のジャーナリストたちが日々味わっていることだ。それがなにより、取材者を沈黙・萎縮させることに繋がっているのは確かだ。とはいえ、結局、私は取材者としては失格なのだ。人を死なせてしまった。万死に値する。
ひとりは俳優の卵で、大層ハンサムな長身の若者だった。結婚したばかりだといって、まだ幼いこどもを抱えた家族写真を見せてもくれた。「共和国も良い国ですが、日本もいい国。いつか行きたい」と何度も言っていた。もうひとりは20歳代前半のさらに若い女性職員で、笑顔の柔らかい、日本で言えば女優の沢口靖子さん似の美女だった。話すことは少なかったが、常に私に付いていて、その行動を監視していた。いままでこの件は書けなかったし、誰にも言えなかった。
二人とも、私が密かに北朝鮮で撮影したビデオが、日本のテレビ局で流れはじめた直後に「処刑された」という。千代田区富士見にあった当時の朝鮮総連の入口玄関を入ったすぐのところで、激怒しながら詰め寄る総連幹部を前にして、私はただただ、うなだれるほかなかった。警護のために同行してくれた警視庁の刑事も、もとから現場で警備していた警察官たちさえも、総連担当者のあまりの剣幕に沈黙せざるをえなかった。
2003年3月のこの取材を機に、私は意図的にイラク、キューバ、ロシア、中東などの戦争・紛争・戦地への取材を繰り返すようになった。どこか心の中で「死んでお詫びしよう」と思う気持ちがなかったわけではない。もちろん、私が、取材で死のうが死ぬまいが彼らの命が返ってくるわけではないし、拉致事件が解決するわけでもない。ゆえに、ふたりの処刑こそが、その後の私の北朝鮮取材を静かに継続される最大の原動力になったともいえる。日本人拉致被害者と「おあいこだ」と勝手に心の中で整合性をつけて、その後の北朝鮮問題の取材活動を続けてきたのかもしれない。
当事者の声と脱北者の証言
今回の配信で重視すべきは、当事者である横田拓也さんの言葉だ。彼は拉致直後のめぐみさんの写真について語った。「13歳で拉致された直後に撮られたこの写真で、こんなに苦しい悲しい寂しい表情を見たことがない」と視聴者に問いかけた。「この目から何を訴えかけられているか、自分の子供がこの画面の向こう側に座らされていたら何をしなくてはいけないか」とも語った。
脱北者の文蓮姫氏とデイリーNK JAPAN編集長の高英起氏の証言も重要だった。北朝鮮では一般住民はもちろん、エリート層でさえ拉致の事実を知らない。情報は完全に遮断され、海外とつながるスマートフォンを持っているだけで処刑される。韓国ドラマの影響で「オッパ(お兄さん)」という呼び方をしただけで処刑対象になるという、想像を絶する監視社会なのだ。
政治の失敗と可能性
番組では元拉致問題担当大臣の松原仁氏も参加し、政治の責任について議論した。私は安倍晋三元首相の評価について、松原氏と若干の見解の相違を示した。確かに安倍氏はストックホルム合意を結んだが、結果として拉致被害者を一人も取り戻せなかった。政治は結果責任である。その意味で、5人を帰国させた小泉純一郎氏の方を私は評価する。
さらに評価すべきはドナルド・トランプ大統領だ。2018年のシンガポール・セントーサ島での米朝首脳会談の現場で、NOBORDERは世界で唯一、拉致事件について金正恩総書記との会談直後のトランプ大統領に質問したものだった。
トランプ大統領は当然の反応を示した。「なぜ日本人の問題なのに自分たちでやらないんだ。だけど俺は言っといてやったけどな」と答えた。この迫力こそが国際政治を動かすのだ。
ゲストの柳ヶ瀬裕文氏も指摘したように、政府認定の17名以外に、拉致の可能性の排除できない「特定失踪者」は470名、警察がリストアップする拉致の可能性がある人は約900名に上る。これは氷山の一角に過ぎない。解決の鍵は「徹底した圧力と対話」だというのは小泉訪朝以来変わらぬ議論だ。朝鮮総連の500億円以上の負債を利用した破産申告など、まだまだやれることは多い。
国民一人ひとりの問題として
番組の最後、横田拓也さんは訴えた。「政治家の方々は言葉が武器。その言葉に動きを強め、熱量を込めて覚悟を決めてこの問題に当たってほしい。そして国民の皆さんには、誰かの問題ではなく私たち一人ひとりが試されている問題なのだと、我がこととして向き合ってほしい」
拉致問題は過去の事件ではない。今この瞬間にも、めぐみさんをはじめとする拉致被害者たちは、日本からの救済を夢見て、いつか日本の地に帰還することを夢見ている。決してこの問題を風化させてはならない(次回に続く)。写真はイメージ「北朝鮮に拘束された上杉隆」(AI:nano banana pro)

















