
日本のジャーナリズムは、一体どこまで自己否定を繰り返せば気が済むのだろうか。先般、LINEヤフーやドワンゴなどが加盟する一般社団法人「日本インターネット報道協会」が、株式会社NoBorderの加盟申請を見送った。実に半年以上に及ぶ不可解な「審査」の末の結論である。
NoBorderNewsの報道によれば、却下の理由は「SANAE TOKEN(サナエトークン)」をめぐる一連の状況を「慎重に見極める必要がある」というものだった。インターネット報道協会からの通知書に書かれている理由は、事実の確定でも法的な瑕疵の指摘でもない。それは単なる「空気の共有」と「風評への便乗」に過ぎない。
しかも、インターネット報道協会の問題視している主体は分散型組織の「NoBorderDAO」であり、加盟申請を行っている「株式会社NoBorder(溝口勇児CEO)」とは別法人である。
さらに驚くべきことに、協会側の指摘は「株式会社NOBORDER(上杉隆社主)」だとしているが、これは「株式会社NoBorder(溝口)」とは別法人であるし(登記上も完全に別会社)、今回の件とは無関係の会社である。
インターネット報道協会がまず行うべきは、一方的な排除ではなく、事実関係の確認であり、正確な照合であり、当事者からの反証の聴取であるはずだった。
対象の法人格の違いすら確認できず(登記を確認すればよいだけ)、世間で少しばかり疑念の声が上がった無関係の事象を理由に遠ざけるのは報道機関としてあまりにお粗末に過ぎる、というか万死に値する。
今回の反射的な対応は、およそプロのジャーナリズムの作法ではない。そもそも審査に半年以上かけて、時系列的に無理のあるサナエトークン騒動を理由にしたというのは、理屈つけを待っていたと勘繰られても仕方のない悪手である。
もっと言えば、インターネット報道協会の今回の行為は、私たち真のジャーナリストたちが長年批判し、ともに打ち破ろうとしてきた旧態依然とした「閉じた村の論理」そのものである。
日本インターネット報道協会は、公式サイトで、自らを「公衆ネットワークを利用した報道コンテンツの品質向上と会員相互の交流」を目的とする組織だと説明している。また加盟案内では、「報道事業」とは中立性と信頼性を担保しつつ、取材を通じて得た情報や時事問題の分析、論説を不特定多数に提供する営みだと定義している。これは活字にすれば誠に立派な理念であるが、今回の振る舞いをみれば、自分たちの都合のいい時だけ壁に掲げる額縁のようなものにすぎないことがわかるではないか。
組織の真価、とりわけ「報道機関」の集合体としての真価は、不都合な相手や孤立しようが正しいことをやり遂げようとしている仲間を排除することで決まることはない。疑義があるなら、明確な審査基準を示し、透明性のある手続きを開示し、当事者への釈明と反論の機会を十分に与え、そのうえでファクトに基づいて判断すればいいだけの話だ。
そうした最低限の透明性もデュープロセス(適正手続き)もなしに、「慎重」という魔法の言葉だけが独り歩きして門を閉ざすなら、それは「品質向上」などではなく、単なる「恣意の温存」であり「既得権益の死守」である。硬直した官僚組織、いやインターネット報道協会が対峙してきた日本型記者クラブ型カルテルとなにが違うというのか?
私はこれまで四半世紀以上にわたり、日本のメディアの閉鎖性と排他性がいかに日本の言論空間を劣化させ、国民の「知る権利」を毀損してきたかを先頭に立って指摘し続けてきた。
NHK報道局で、衆議院議員公設秘書として、ニューヨーク・タイムズ東京支局の取材記者として、そして、フリーのジャーナリストとして日本国内のみならず、戦場も含めた世界中で仕事をしてきた。その私の仕事の中心には、常に権力への監視と同時に「情報流通を妨げるシステムそのものへの批判と代案の提示」があった。政治権力だけではない。誰もやらなかった権力と癒着するメディア慣行への取材も継続してきたという自負がある。
2009年の政権交代前後にかけ、私の人生を懸けて執拗に取り組んできた「記者クラブ開放」の問題が解決に向かいつつあった。1999年の都庁記者クラブの開放を皮切りに、2001年の官邸会見や国政や地方などあらゆる舞台で記者クラブの開放を訴え続け、そして実際に開放に至らしめてきたのだ。
野党時代の小沢一郎民主党代表から記者クラブ開放の言質を取り付け、鳩山政権発足時には、海外メディアやネットメディアやフリージャーナリストが締め出されている現実を「公約違反」として徹底的に批判し、激しい交渉の末、官邸や各省庁の会見の扉をフリーランスや一部のネットメディアに開いたのだった(スポーツ紙や一部海外メディアは2001年に達成した)。
当時の私が続けた孤独な交渉と、実際に行動し結果を出したことについては、当時の日本インターネット協会の幹部のみならず、政治メディアに関わる者ならば誰もが知っていることだった。
『週刊東洋経済』では外国特派員協会の記者たちが例外なく日本の閉鎖的な記者クラブを批判していた記事を寄稿し、『週刊ダイヤモンド』では外務省会見の完全オープン化を「記念すべき日」と呼んでさらなる仲間を集い、多くの対談でも、記者クラブを守ろうとする既得権と真正面からぶつかってきた「戦記」が克明に綴られていていたのを、インターネット報道協会の面々が読んでいないとは言わせない。
なぜ私がここまで記者クラブの排他性に怒り、インターネットという新たな空間に希望を託したのか。それは、日本インターネット報道協会の創設者である故・竹内謙氏(元鎌倉市長、元朝日新聞記者)から、協会設立のずっと前から相談を受け続け、ともに戦ってきた背景があるからだ(2003年頃、竹内氏が日本インターネット新聞「Janjan」を作ったころからと記憶している)。
オールドメディアの限界と硬直化を憂う竹内氏は、「フリーや雑誌や海外メディアの記者たちが堂々と総理に質問できる仕組みを作ろう」と熱っぽく語り、その理念は、私の掲げていた「ジャーナリズム五原則」や記者クラブ開放の目標と完全に一致していた(当時はまだネットメディアは最弱だった)。当時、私たちが確認し合ったのは「第二の記者クラブを作ってはならない」「既得権を得て他者を排除する組織にだけは絶対にしてはならない」という強い戒めであった。
だからこそ、今回の事態に対して、私は怒りを通り越して深い悲しみを覚えているのだ。皮肉なことに、日本インターネット報道協会の公式沿革には、発足当初にネットメディアが政府へのアクセスに苦労したこと、そして協会が働きかけた結果、2009年に主要官庁の大臣会見がネットメディアにも開放された歴史が誇らしく記されている。
実際にその働きかけをしたのが誰だったのかは記されていない。内閣官房、内閣府、内閣広報官、党広報、国会記者会館、内閣記者会、衆議院、参議院へ、繰り返し繰り返し、連日ひとり単身で話し合いを続けた人物のことは一切触れていない。そしてその人物は現実に開放させて、いまのインターネット報道協会がある。それはいったい誰だったか?
当時の事務局長で、後の会長である神保哲生氏が発した言葉をまさか忘れたのではあるまい?「政府との交渉や記者クラブとのやりとりは全部上杉君に任せたから」。
また、果たして、オープン化された際に「不断の交渉で記者会見を開いてくれた立役者の上杉隆氏への謝辞」という竹内会長のことばが、インターネット報道協会の記録から抹消されたのはいったいなぜか?(竹内氏が亡くなるまでは記してあった)。もし現在の協会幹部たちが本当にその歴史を自覚しているなら、いま自らが何をしているのか、胸に手を当てて考えるべきだ。権力とオールドメディアの排除に抗して生まれた組織が、いつの間にか「独自審査」という名の不明瞭なルールで後進を弾き出し、排除の手つきを身につけた瞬間、それは創設者・竹内謙氏の遺志を裏切ったことになる。
2011年、次に私は、フリーランスや学生も含めて誰でも参加できる記者会見の実現を掲げ「公益社団法人自由報道協会(現・公益社団法人日本ジャーナリスト協会)」を設立した。
当時の私にとっての私財8000万円は決して小さな金額ではなかった。だが、私は、ネットメディアの官邸入りや記者会見参加だけに留まるべきではないと気付いていた。日本には、あらゆるメディア人の参加できる場を創ることで、誰もが質問でき、どの媒体でも取材権を有し、情報の多様性を広げる場が必要であると信じていた。
報道の自由とは、表現の自由だけではない。取材の自由、質問の自由、参加の自由、疑問を差し挟む自由をも含むのだ。その自由を求めてきたインターネットメディアの集まりであるインターネット報道協会が自らの存在を否定するような決定を下したことは、どんな理由があれ許されるべきではない。
もちろん、今回の件でNoBorder側に説明責任があるのは当然であるし、社会的疑念が向けられているのならば丁寧に説明しなければならないだろう。だが、実際にNoBorder社のCEOの溝口勇児氏は、補償や謝罪などを通じて過去に例がないほど徹底的に対応していると私は感じている。実際に自民党やオールドメディアからも、ここまできちんと向き合うとは正直思わなかった。溝口勇児という人物を見直したという声が少なくないのだ。
そもそもNoBorder社のメディアをインターネット報道協会の幹部は確認したのか。ニューヨークタイムズ以降の約四半世紀間、日本のメディアに関わってきたひとりとして、溝口氏のメディアのクオリティは日本のあらゆるメディアと比較しても遜色ない。少なくともジャーナリズム五原則を実践している点で、日本ではトップレベルの報道機関になっている。
そのNoBorder社に対しては反論や弁明の機会も与えず、まったくの別組織の騒動を一方的な思い込みでもって「加盟を見送った」というインターネット報道協会の振る舞いは、必ずや問題となるだろう。それが報道機関の集まりというのだからなおさらだ。
インターネット報道協会に求められるのは、風評と事実、批判と排除、審査と印象操作、そして異なった法人を峻別する当然の能力だ。それらを混同した時点で、この団体は報道を名乗る資格を自ら傷つけている。報道とは、誰かを白く塗ることでも黒く塗ることでもない。調査や取材を通じて、事実に迫ることではなかったのか?いったい彼らは何をしたいのか?なにか隠したいことでもあるのか?
私は、公益社団法人自由報道協会の代表理事を辞した後の2014年、ライブ報道番組「ニューズ・オプエド」(2000回を超えるライブ配信/いまだに日本一)を開始し、日本の報道に貢献してきたつもりだ。また同時期からAIメディア構想を打ち出し、実際にAI メディアを日本の誰よりも早く開発に着手し、実際に着地させてきた。
その会社が、まさに今回インターネット報道協会が法人間違いを犯した株式会社NOBORDERである。世界的にはトランプ大統領の独占取材やサミット報道でNOBORDERは高い知名度と信頼を勝ち得ている。2025年のアルジャジーラ研究所のAIメディアサミットには日本のメディアで唯一招聘されている。結果として勘違いだが、その勘違いだとしても、日本トップのインターネットメディアのNOBORDERを排除したのはどういう理由だろうか。聞いてみたいし、インターネット報道協会には答える義務がある。
思い出してほしい。記者クラブ問題が批判されたのは、特定の社を優遇し、特定の記者を締め出したからだけではない。「何が基準で、誰が決め、異議申し立ては可能なのか」が見えなかったからである。説明責任を他者に求める報道機関が、自らの判断について説明を拒む。その二重基準が、日本のジャーナリズムへの不信を育ててきた。もし日本インターネット報道協会が今回の判断を正当だと思うなら、その選定基準を公開し、議事の要旨を示し、将来の再審査条件を明らかにすべきだろう。密室の「慎重」は、単なる責任回避の別名であり、彼ら自身が批判してきた記者クラブ型カルテルに他ならないのではないか。
私は、インターネット報道に品位も倫理も不要だと言っているのではない。むしろ逆である。既存メディアが取りこぼしてきた領域に踏み込むからこそ、ネット報道にはより厳密な倫理と検証が求められる。だが、その倫理の核は、印象による連座ではなく、事実にもとづく審査である。批判があるから落とすのではなく、事実を確かめたうえで判断する。そこに異論があるなら、公開の場で論争しようではないか。報道の世界で最も恥ずべきなのは、疑惑そのものではない。疑惑に向き合う勇気を失い、対話の扉を閉じることだ。
日本インターネット報道協会が守るべきは、会員名簿の静けさではない。騒がしく、面倒で、ときに危うく見えるが、実は硬直した日本の報道を変えるような新規参入者や、多様性のある言論空間の構築に貢献しようとしている人物を守るべきなのだ。それこそが、いまから25年近く前、創設者の竹内謙氏と私・上杉隆の間で何度も語られたジャーナリズムの夢であり、未来の報道人への希望だったのだ。
かつて既存の壁に抗してきたはずの組織が、今度は自分たちで新しい壁になるのだとしたら、それは恥ずべき退行にほかならない。インターネットは、閉じるために生まれたのではない。届かない小さな声を拾うために生まれたのだ。その原点を忘れたインターネット報道協会に、他社を選別し排除する権利はないし、ジャーナリズムの未来や夢も語る資格はない。
最後に、今回、NoBorder社への「排除の論理」を行使したという幹部の名前を記しておく(最新の協会HPによる)。現時点で、これら5名に報道を語る資格はないだろう。速やかに自らの過ちを認め、正当な判断を下すことを求める。
元木昌彦 「オフィス元木」代表理事神保哲生 日本ビデオニュース(株)代表取締役社長理事高橋薫 株式会社ドワンゴ理事工藤博司 (株)ジェイ・キャスト監事蜷川真夫 (株)ジェイ・キャスト代表取締役

















